3.語学学習は何歳からでも

語学を学ぶ、語学で遊ぶ

 

 

知人から何年かぶりで電話がかかってきました。

この日曜日の夜中でした。

 

 

今、語学を勉強しているとのこと。

英語とロシア語を2か月前から学び始めたそうです。

 

 

「旅行でも行くのですか?」

と尋ねると、

「お金ないから行けないよ。急に思い立って始めただけ」。

 

知人は若いころ、大学の理学部数学科でした。

卒業後はプログラマーを数年やっていました。

 

 

プログラマーを数年で辞め、カナダとイギリスの語学学校へ数カ月通っていました。

趣味が釣りとカメラでした。

広々とした土地で釣り三昧の日々を送りました。

 

 

それから何年も経った今、どうして語学を再度学び始めたのか?

「何かを勉強したくってね。再就職に直接役立つ資格ではなくて、自分だけの世界を作って遊びたかったから」

とのこと。

 

順を追って学べる語学は、「自分の世界」を作るのに最適なのでしょう。

 

何かの役に立つために学ぶ。

再就職のために学ぶ。

旅行に行くために学ぶ。

 

学ぶのは楽しいものです。

自分の力が伸びるのを実感できます。

自分の世界が広がります。

自分の視野が開けます。

 

 

一方、遊ぶのも楽しそうです。

「自分だけの世界を作って遊びたかったから」

知人の言葉が頭を駆け巡ります。

 

 

遊ぶために生まれてきた

 

遊びをせんとや生れけむ、

戯れせんとや生れけん、

遊ぶ子供の声きけば、

我が身さえこそ動がるれ。

(『梁塵秘抄』 : 編 後白河法皇 )

 

遊んでいるときは、無心になれますね。

無我とでもいうのでしょうか、我を忘れ戯れます。

 

懐かしいです。

 

目標、

課題、

ノルマ、

問題解決、、、、、、、、。

いつも何かに追われています。

 

いつの間にか、無我夢中で遊ぶということを忘れていました。

 

知人の電話は、私にとってナイスタイミングでした。

 

無我童子

 

前章で「遊んでいるときは、無心になれますね。」と書いていましたら、

突然、『無我童子』を思い出しました。

家の座敷に、無我童子の人形が置いてあったのです。

 

多分、私が中学生のころにはあったと思います。

 

「なんていい表情なのだろう」と思いながら眺めていたのを思い出しました。

 

(画像引用:竹中銅器→こちらをクリック

 

(画像引用:足立美術館→こちらをクリック

 

(画像引用:越前竹人形の里→こちらをクリック

 

 

高校生になり「倫理社会」で仏教や哲学を習い、「無我」という言葉を新たに発見しました。

あの頃は、判断し認識することで世界を把握しようとする西洋哲学に疑問を持ち始めたころです。

 

そして、今。

 

当時の心に戻って、「無我」と「遊び」を体験したいです。

 

 

英語で無我を何と言うのか?

 

「無我」という日本語を英語に訳すと何になるか気になりました。

翻訳ソフトで「無我」を入力すると、次の言葉に訳されました。

 

”Selflessness”

 

次は逆に、”Selflessness”を和訳すると、

 

「無私」

「無欲」

 

「無我」という日本語は出てきませんでした。

 

「無私」・「無欲」と「無我」とは違う概念だと思います。

 

ならば、”Selflessness”には本来の「無我」の概念が意味が、元々はなかったのではないかと推測します。

日本語(或いは漢語)の「無我」も、パーリ語の和訳(漢語訳)でしょうから、無理からぬところです。

そもそも日本語の「無我」の起源が分かりません。

 

 

 

では、本来の意味である無我とはどんな意味なのでしょうか?

諸説あるようですが、中村 元著『原始仏典Ⅱ/人生の指針こころを読む2』東京書籍刊p122を記します。

 

 『自分の思うままにならないから、自分の我ならざるものである。自分の我でないものであるというならわがものではない。これはわれではない。つまり自分の体とか精神作用とか、あるいは自分が持っているもの、財産とかあるいは名誉とか地位とか、そういうものもわれではない。これはアートマン(a^tman)ではない。アートマンとはインドのことばで自分のことを指します。中略
 古い漢訳の聖典を見ると「非我」という訳のほうが多いのです。もとのことばでいうと、パーリ語なら「アナッター」(anatta^)となりますが、それが名詞ですと「非我」「我ならざるもの」ということになります。それから形容詞として使いますと「我を持たないもの」というわけです。仏教は無我を説くといいますが、なにも自己がないとか、アートマンがないとか、そういうことを説くのではないのです。その我執をなくするという教えです。ことばは違いますが、趣旨としては同じことになるわけです。

 

『仏教は無我を説くといいますが、なにも自己がないとか、アートマンがないとか、そういうことを説くのではないのです。その我執をなくするという教えです。』とありますね。

 

この文章を英訳ソフト(エキサイト翻訳の宗教領域)にかけると、

I say that selflessness is explained, but I have no oneself and have no atman and the Buddhism explains no such things. It’s telling to which I say I don’t have that and that the egocentricity is done.

 

ここでも、「無我」は”Selflessness”と訳されています。

 

元来、自己なる概念は、世界各地によって異なった概念だったでしょうから、「無我」の訳がどうのこうのという問題ではないのかもしれません。

 

現時点では、「無我」の英語訳は日常的には”Selflessness”で良いのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.翻訳サイトを利用するときの工夫

日本語の文章を直す工夫

 

日本語の長い文を翻訳すると、変な英語になることが多いです。
したがいまして、日本語を入力する段階で、誰が読んでも分かりやすい日本語に置き換えます。

例えば、長い文は複数の文に分けて翻訳ソフトに入力します。
また、できるだけ単純な文に直し、主語を加筆します。

以下に同じ翻訳ソフトを使った英訳を2種類記します。

 

その1

(最初の日本文)
この会社は従業員が多いにもかかわらず、会うとお互いに笑顔で挨拶するが、それは皆が仲良く働ける仕組みを社長が作っているからであって、もしもその仕組みを作っていなかったら、挨拶しなさいと上司がいくら説教をしても形だけの挨拶しかしないだろう。

(上記の英訳文)
Despite having many employees, this company greets each other with a smile, because the president has created a mechanism that everyone can work as friends, if you have not created that mechanism, say hello No matter how much the boss preaches, you will only greet the shape.

その2

(分かりやすく直した日本文)
この会社は従業員が多いにもかかわらず、会うとお互いに笑顔で挨拶する。
それは皆が仲良く働ける仕組みを社長が作っているからである。
もしも社長がその仕組みを作っていなかったら、挨拶をしなさいと上司が何度も説教をしても従業員は形だけの挨拶しかしないだろう。

(上記の英訳文)
Despite having many employees, this company greets each other with a smile.
This is because the president makes a mechanism that everyone can work together.
If the president did not make that mechanism, even if the boss preached over and over, the employee would only speak of a formal greeting.

直した日本語の部分は、次の3点です。

1.一つの文章を三つの文に分けた。

2.主語を加筆した(太字の2単語)。

3.「いくら」を「何度も」に直した(朱文字部分)。

英文としてどちらが格調あるか理解できる力は私にはありませんが、分かりやすい英語文に翻訳されたことと思います。

1.英語翻訳サイトの特徴

最近の翻訳サイトは、日に日に便利になりましたね。

 

 

翻訳サイトによる違い

 

でも、「あれ?この英訳であっているのかなあ?」と心配になることがあります。

使用する翻訳サイトによって翻訳方法に癖があるようで、どことなく変な英語になることはたびたびありますね。

 

以下に例を示します。

「野生のサイの角は太いです。」
という日本文。

A翻訳サイトにかけると、
「The square of the wild rhinoceros is thick.」

B翻訳サイトでは、
「The horn of the wild rhinoceros is big.」

C翻訳サイトでは、
「The wild rhino horn is thick.」

A翻訳サイトは、明らかな誤訳ですね。
「角」を「かど・四角形」の意味で理解し、「square」と英訳しています。
文章全体の意味を読み取らずに、逐語訳をするのかもしれません(今回の場合だけかもしれませんが)。

B翻訳サイトで気になりますは、「太い」を「big」と英訳している点です。

C翻訳サイトは、分かりやすい英語となったと思います。